沿革企業情報
1966〜1979
第一カッター興業の創業
第一カッター興業創業
将来の夢を切り拓く、同級生3人でのスタート1980〜1993
業容の拡大
相次ぐ大型案件の施工
技術と経験の飛躍的な成長の契機長さ4000mにわたる基地滑走路のコンクリート全面打ち替え工事(1986年)、空港滑走路灯器埋設工事(1987年)と今までにない大規模の工事を成功させました。第一カッターにとって、この経験は今後の業容拡大の足掛かりとなりました。
1994〜2004
事業領域の拡大、株式の上場
新技術への参入と
工事領域の拡大
難工事を経て、技術改良や他社との協力体制を構築
ウォータージェット事業
「切る・はつる・洗う・剥がす・削る」すべてに対応できる第二の柱の誕生2002年頃からウォータージェットの施工部隊を新設する準備を進めていました。
当初は高速道路の剥落防止対策として施工することが多かったのですが、2004年の新潟県中越地震を契機に鉄道高架橋の補修工事を手がけるようになり、鉄筋周りのコンクリートはつり工事にも参入しました。
2005年の新社屋への移転を前に、ウォータージェット事業部として独立しました。
株式上場
切断専門の工事会社として初、創業時からの目標のひとつ創業から三十数年が経ち、強固な財務体質を構築することができていましたが、今後もさらに安定した経営を続けていくためには、より多くのステークホルダーの皆様に見守っていただく必要があると考え、上場を決断しました。
切断専門の工事会社が上場した前例がなかったため、当初の事業内容を証券会社に理解してもらうことも困難な状況ではありましたが、無事に2004年6月10日にJASDAQへの上場を果たすことができました。
2005〜
海外進出・新分野参入
海外プロジェクトへの参加
全世界の社会インフラを守る会社へODA(政府開発援助)の一環で、2005年にインドネシアでバースター工事を行ないました。洗掘された橋脚を短時間で撤去するというものでしたが、ちょうどその頃、通関業務が麻痺し荷物の到着が遅れたため現地で6日間も待たされ、橋脚の最後の一段分だけをバースターで施工することに。
これが、当社はじめての海外工事となりました。
以降、2012年にはナイジェリアでウォールソー工事、2016年にはベトナムにて特殊なコアドリル工事、2017年からはクウェートで機械を現地調達し、グループ会社と連携した大規模な工事も行なっています。
新拠点での体制整備
住宅地での騒音問題に配慮3階建ての工場棟と5階建ての事務棟があった旧松下電送株式会社の土地建物を購入し、工場専用地域である現在の所在地(茅ヶ崎市萩園833番地)に移転を行ないました。
2010年に隣接する土地建物も購入し、現在の敷地は約5000坪。
それまで敷地外に借りていた駐車場や機械・資材置き場を敷地内に整備しました。
現在、柳島の旧本社跡地は閑静な住宅地となっています。
ビルメンテナンス事業
丁寧な仕事と、高品質な機材を強みとした第三の柱の誕生ウォータージェット事業が軌道に乗り始めた頃からダイヤモンド工法、ウォータージェット工法に続く第三の柱を探していました。
切断工事の現場から定期的に注文の入る排水管洗浄の研究を重ね2009年4月にビルメンテナンスの事業部が開設されました。
下地処理分野への進出
研究を重ね、ショットブラスト工法を事業化ショットブラストは2011年3月に起きた東京電力福島第一原発事故の除染作業でも活躍しました。
当初の除染は高圧水洗浄が主流でしたが、洗浄では排水処理の手間が増えることもあり、ブラストの切削力の強さが評価されました。
M&Aの推進
技術とサービスのさらなる拡大に向けて株式上場以降、工法の多様化を実現するためM&Aを積極的に行ってきました。
直近では、ウォータージェット工法において高い技術力を持つ老舗企業であるアシレ、翌年にはプラント設備の洗浄工事を手掛ける「ユニペック」を子会社化。
「切る」「はつる」「洗う」「剥がす」「削る」から成る第一カッターの中核事業を強化しています。
営業所リニューアル
働きやすい環境の追求2020年以降、生産性向上・中間処理事業の拡大などを背景にさらなる会社成長の基盤とすべく、営業所の移転・建て替えを進めています。