「業界No. 1」は規模の話だけではない——30年以上のキャリアのほとんどを技術者として過ごしてきた 茅ヶ崎営業所 所長に聞く、DICの技術力の根底にあるもの

昨今、高度経済成長とともに整備された社会インフラの老朽化が深刻化しています。私たちの豊かな暮らしを支えていくためにも、防災対策とともに予防保全と事後保全の対策が喫緊の課題です。

第一カッター興業株式会社は、高い技術力を武器に社会インフラの維持修繕に取り組んできました。職人一人ひとりの技術力はもちろん、技術を支える組織力の強化にも力を入れています。

そんな職人組織をまとめ、本社のある茅ヶ崎営業所の所長を務める石井祥司さんです。ご自身も30年以上にわたるキャリアのほとんどを現場で過ごした、生粋の職人。

今回は、石井さんのキャリアを伺いながら、DICの技術の強み、それを支える組織カルチャーを紐解きます。

30年以上の現場経験を経て、所長に

——数ある営業所の中で、もっとも大きいのが茅ヶ崎営業所です。所長の石井さんの役割を教えてください。

所長は営業所の全責任を負っています。メンバーの育成やマネジメント、機械やトラックの管理、売上の管理など業務内容は多岐に渡ります。茅ヶ崎営業所は90名のメンバーがいますし、機械の保有台数も他の営業所と比べて桁違いに多い。規模が大きいからこそ、よりやりがいのある役職を任されていると思っています。

ただ、はじめに所長に任命された時はびっくりしました。「自分なんかでできるのか」、と。しかし、職人をまとめるには茅ヶ崎営業所での現場経験が長い人のほうがいいと説得され、ありがたく受けることにしました。

——長らく茅ヶ崎営業所で働かれていたんですか?

今年で入社して36年になりますが、札幌営業所で1年働いていたことを除けば、ずっと茅ヶ崎営業所に所属していました。しかもそのほとんどが現場の職人として働いていたんです。

僕がDICに入社したのは、工業高校を卒業した18歳。通っていた学校に創業者の永野良夫さんが来たことがきっかけで、この会社のことを知りました。進路指導の先生と永野さんが友人だったようで、何人もの学校の先輩が入社しているから、とDICを勧められたんです。

当時の入社理由はそこまで明確なものではなかったと思います。父親が市役所の土木部にいたので、そっち方面の仕事をしてみたいという気持ちがあったのと、求人票に載っている基本給が高かったことが決め手でした。18歳らしい理由ですね(笑)。

入社してすぐに茅ヶ崎へ配属されました。北海道や東北、九州などの地方で採用された社員は、茅ヶ崎の社員寮に入ることになっていたんです。同年代のメンバーと過ごす寮生活は和気藹々していて楽しいものでした。

お客様の要望に応えるために技術が磨かれていく

——最初は寮に住まれていたんですね。入社後、職人としての技術をどのように磨かれたんですか?

当時は今のような技術者を育てる仕組みはなく、仕事は先輩の背中を見て覚えるしかありませんでした。僕はずっとカッター部門に所属していたので、現場で道路や橋を切っている先輩たちの姿に学びました。

現在は教育フローが整っていますが、やはり技術の根幹にある部分は現場で学び取るしかありません。現場が10あれば、作業のやり方も10通りあります。同じ現場であっても毎日状況が変わるんです。昨日まで計画通りに進んでいたのに、次の日に来てみたら予想だにしない障害物を見つけ、やり方を変更することなんて日常茶飯事。

切る順番を間違えたら後工程に支障をきたすので、身体だけではなく頭も使わなければいけません。緊張感のある現場を何度も経験することで、少しずつ技術を学んでいきました。

——石井さんのキャリアのなかで一番学びが大きかったとおもう現場はどのようなものでしたか?

一番学びが大きかったのは、関東にあるスキー場の解体工事です。高さが100メートルあって、ゲレンデの勾配は一番きつくて29度ありました。床面のコンクリートを縦横に切っていくんですが、それが非常に難しかった。

坂が急なため、切断する機械が滑っちゃうんです。500キロ以上ある機械なので、一歩間違えれば命を落としかねません。綺麗にカットすることはもちろん、安全に配慮しながら工事を進めることの大切さを学びました。

この工事は僕自身の糧になったとともに、DICの新しい技術開発にもつながったんです。水平方向に頑丈なレールをセットし、その上に機械を固定しながら横にカットしていく方法が生まれました。お客様の要望に応えようとするなかで、職人も会社も技術力を伸ばしていく。そんなことを実感した現場でした。

2日半で7500メートルを改修。異例の難易度だった西湘バイパスの復旧工事

——先日、茅ヶ崎営業所では西湘バイパスの改修という大きな工事をおこなわれましたね。工事の概要を教えてください。

15年くらい前の大型台風によって、神奈川県中郡大磯町から小田原市を結ぶ西湘バイパスの下り線が、一車線まるまる崩落してしまいました。復旧作業にDICが呼ばれ、当時は一車線だけ通れるようにして工事は完了。その後、他の業者によって、海沿いにテトラポットを置く作業などが継続されていました。

そして、今年ついに二車線目を開通するということで、再びご依頼いただいたんです。工事の内容は「7500メートルの復旧工事を2日半で完了させる」というもの。納期が短いということは、多くの機械と人員を集めなければならないということです。難易度の高い工事に戸惑う雰囲気もありました。

そんな時に、社内の中から「うちがやらなきゃどうすんの」「絶対に車を集めるからやろうよ」という声が出たんです。最初もやったんだし最後までやろう、と。その声に背中を押され、工事を受けることに。

茅ヶ崎以外の営業所にも協力をあおぎ、3台の機械を3セット、昼夜の交代を含めて18台の機械とそれを操縦する職人を集めることにしました。また、切断水の汚泥回収をする中間処理もこちらで請け負うことに。その対応を見てくださり、先方の現場監督さんが「DICにやってもらいたい」と言ってくれたんです。

——他の営業所と連携して、全社で取り組んだんですね。

その結果、なんと、工事は時間を余して完了しました。手前味噌ですが「やっぱりDICってすごいな」と思いましたね。ここまでの数の機械と人員を自社で手配することができるのは、DICだけだと思います。

実は15年前、一車線目の復旧作業の時も難しい内容だったんです。2000メートルをたった1日で改修するというもの。しかも、依頼を受けた次の日には現場に入って欲しいとのこと。

その時は、朝早くから機械と人員の手配に奔走しました。他で稼働が終わった機械も順々に応援に来てもらって、最終的には11台13人が集まりました。次の日が日曜日だったにも関わらず、大勢のメンバーが力を貸してくれたんです。

工事が終わったのは夜中の2時すぎ。身体は疲れ切っていましたが、心は清々しい気持ちでした。

こうした仕事を通してメンバーの間に絆が生まれます。なんとかしようと思って、みんなが本気になることができる。僕もその現場にいたひとりです。楽しく誇らしかった思い出として、今でも記憶に残っています。

第一カッターの誇りを次世代に伝えていきたい

——なぜ、DICのみなさんは難しい工事にも前向きに取り組めるんでしょうか。

業界No. 1としてのプライドを持っているからだと思います。「No. 1」とは規模の話だけではありません。専門業者として負けない技術力を持つことはもちろん、無理難題もなんとかクリアしようとする意思を持っていることが大切です。

それを職人一人ひとりが持っているからこそ、どんな現場にでも挑戦できるし、積み重ねた現場経験が揺るぎない技術力に変わっていきます。

——機械や職人の数が豊富であるとともに、職人さんたちの誇りがDICの技術力を支えているんですね。では、最後に石井さんのこれからの展望を教えてください。

所長になる前からずっと、他の営業所への転勤を希望していました。茅ヶ崎営業所の工事部隊はかなりできあがってきたので、人数が少なかったり教える人がいなかったりする営業所に、技術やノウハウを共有していきたいんです。

世代交代はどんどん進んでいます。せっかくいいものがあるのだから、後輩に伝承していかなければいけません。

ここでしか働いたことがないから、他社との比較はできませんが、僕はDICは素晴らしい会社だと思っています。数々の現場経験を積ませてもらい、いい上司やいい同僚に恵まれてきた僕だからこそ感じているDICへの誇りを、技術力とともに伝えていきたいですね。

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